勘違い 2015.03.01

kumo

kumo

朝、2度寝をしていると、部屋の中に生き物の気配がする。

おかしい。

私は生き物なんて飼っていないのに。

何か紛れ込んだのだろうか?

 

うつらうつらと考えていると、

生き物の気配は、どんどん近付いてきて、

ついにベッドに乗ってきた。

寝ている私の顔に、クンクンと鼻を近付けている。

髭がくすぐったい。

 

猫だ。

今目を開けたら、驚いた猫に顔をひっかかれるかもしれない。

ここは、慎重にいかなければ…

 

と思ったところで、はっきりと目が覚めた。

勿論、猫なんていなかった。

 

私は直観的に、ついにあの子が召されたのだ、と思った。

あの子というのは、友人の家の猫で、

もういつ召されてもおかしくない、たいそうな老猫の事である。

飼い主も、今年の冬は越せないかもしれない…

今年の夏は越せないかもしれない…

と、数年間言い続けている。

家族でもない私に、別れの挨拶をしに来てくれたのだろうか?

律儀な猫だなぁ、としんみり思った。

 

昼間、確信を持って、飼い主に猫の安否を確認してみる。

「元気だよ!」と、少し怒られる。

勘違いでよかった。

お話のはじまりのお話2 2015.02.25

2015.02.25

2015.02.25

「まちのひろばのどうぶつたち」は、

以前作ったカレンダーに登場する動物たちと、

時々街中で感じる象みたいな匂いと、子供の頃のある体験が、

パズルみたいにくっついて出来たお話だ。

(report お話のはじまりのお話 1 2015.02.21)

今日は、子供の頃のある出来事について、書こうと思う。

 

小学校の頃だった。まだ、10歳にもならない頃だ。

その時のクラスに、ひとり、喋らない生徒がいた。

挨拶をしても、話しかけても、下を向いたまま喋らない。

私は、よく分からないながらも、あの子はきっと、

喋れない病気なんだな、と思っていた。

その子はいつも1人だったけど、

からかったり、意地悪をしたりする子は、いなかったと思う。

きっとみんな、私と同じように感じていて、

なんとなく、そっとしておくのがいいのかな…、

と思っていたのだと思う。

 

そんなある日の事だった。

ホームルームの時間に、先生がこんな話を始めた。

「このクラスに、誰よりも

お掃除を一生懸命やってくれる子がいます。

みんなは知らないと思うけれど、その子は休み時間、

先生の黒板消しを、いつもきれいにしてくれます。

短いチョークを新しいチョークに替えてくれます。

教室にお花を持ってきてくれたり、

花瓶の水を、毎日替えたりしてくれます。

誰だか分かりますか?」

 

教室中が、ざわざわした。

みんな、誰の事だか分からなかったのだ。

 

それを制するように、先生は静かに、

でもよく通る声で、こう続けた。

「それは、◯◯さんです。」

それは、喋らないあの子の名前だった。

 

多分私は、その子より後の席だったのだろう。

教室中の生徒たちが、一斉に振り向いて、

その子の事を見た光景を、今でも鮮やかに覚えている。

オーラという言葉を簡単に使いたくはないけれど、

やっぱりあれは、オーラというようなものだったと思う。

その子から、その子の色が、光の粒になって、

教室中に広がって行くのが、その時は本当に見えた。

私はただただ、すごいと思って、体の中がザワザワして、

なんだか泣いてしまいそうだった。

当時は言葉に出来なかったけれど、今思えば、

心を揺さぶられる、とか、感動する、という事だったと思う。

 

その日をきっかけに、その子が活発な子になった。

…なんて事はなくて、変わらず大人しい子だったけれど、

話しかけるとうなづいてくれたり、短い返事をしてくれるようになった。

喋れないわけではなくて、きっと、極度の人見知りだったのだろう。

 

その子はずっとその子だったけれど、はっきりと変わったものがあった。

それは、周りの生徒たちが、その子について知ったという事だ。

それは、静かだけれど、大きな変化だった。

 

あれからだいぶ年月が経ち、この絵本を書きはじめて、

ひとつ、気付いた事がある。

 

私は当時、その子の事を、

誰にも気付かれないのに善い事をするなんて、天使みたいな子だなぁ!

と思っていたけれど、それはちょっと、違っていたかもしれない。

確かにその子は、優しい子だったと思うし、それは間違いではないけれど、

それだけではなかったのではないか?と、思うようになった。

 

あの子がしていた事は、決して慈善のようなものではなくて、

あの子にとって、それが唯一の、

教室という世界と繋がるための方法だったからかもしれない、

と思うようになった。

やっぱりどこかで、誰かに気付いてほしかったのかもしれない、

と思うようになった。

そう思うと、その切実さに、少し胸が痛んだ。

 

でも、あの子は楽しくもあったのかもしれない、と思った。

例えば先生が、新しいチョークで字を書くとき。

例えば誰かが、花を見ている時。

まるで、いたずらが成功した時みたいに、嬉しかったのかもしれない。

切実さの中で、きっと少し。

 

それに気付いてから、

切なさよりも、楽しさが前に出たお話にしたくなった。

ずっと、柔らかい光に包まれたようなお話にしたくなった。

今まで自分が書いた中で、1番優しいお話になった。

お話のはじまりのお話1 2015.02.21

20150221

20150221

3月に発売予定の新刊絵本

「まちの ひろばの どうぶつたち」(あかね書房)は、

街を舞台にした、不思議な動物たちのお話だ。

 

お話のはじまりには、いつもきっかけがあって、

今回は、2013年のカレンダーの1枚だった。

販売用に私が作った物で、1ヶ月毎に、

小さな線画と短い文が入った、卓上カレンダー。

 

9月の動物たちを主人公にしたお話が書きたくなった。

背景はカラフルで、主人公は線だけのお話。

 

すぐに、時々思っていた事が、頭に浮かんだ。

外を歩いていると、時々、象なんていないのに、

象みたいな匂いがする事があって、

実は、見えない象が歩いているのかもしれないなぁ、

と思う事があるのだ。

その事と、9月の動物たちが結びついた。

お話が作れそうだと思った。

 

9月の動物たちと、街の中の象の匂いと、

それから子どもの頃のある出来事が加わって、

「まちの ひろばの どうぶつたち」が出来た。

 

子どもの頃のある出来事については、

また今度書こうと思う。

校了 2015.02.17

20150217_1

20150217_1

 

20170217_2

新刊絵本が、ついに校了した。

 

一昨年の秋頃に、編集さんとお話をして、

それからぼんやりと空想をして、

去年の1月くらいから、本格的に構成を始めたから、

制作期間は、ちょうど1年くらいだ。

1年間、ほとんど毎日考えていたから、

終わってしまって、少し寂しい。

 

校了したので、机周りの整理を始めた。

写真は、半年くらい前に作った、

大きさ確認表と、服装表。

どちらも制作中、大活躍だった。

思い出化すると、捨てられなくなるので、

校了したら、すぐに捨てるようにしているのだけど、

これは大事にとっておこうと思う。

 

「まちの ひろばの どうぶつたち」(あかね書房)

書店に並ぶのは、3月の2週目くらいになるそうだ。

とても楽しみだ。

ブロッコリーの夢 2015.02.16

blocco

blocco

夕飯のために買ってきたブロッコリーが、

大変立派だったので、まな板の上に立ててみる。

 

立った。

フラフラする事もなく、とてもバランスよく、

いとも簡単に立った。

あまりに見事なので、しばらく眺めてみる。

 

木だ。

これはもう、木だなぁ、と思う。

 

眺めてばかりいても、夕飯の支度が進まないので、

房に切り分ける。

 

木だ。

房に分けても、やっぱり木だ。

 

ブロッコリーは、木になりたいのだろうなぁ、と思う。

植物だから、「木になりたいなぁ」などとは言わないけれど、

その意気込みは、相当なものに違いない。

 

そんな、夢いっぱいのブロッコリーを食べるのが、

なんだか気の毒になってきた。

ブロッコリーを放っておいたら、

木になる可能性はあるのだろうか…?

 

残念ながら、ないだろう。

調べたわけではないので、定かではないけれど、

木になるどころか、ひょろひょろと細長く伸びたりして、

挙げ句、花が咲いたりするのだろう。

 

ブロッコリーは、自分が理想とする自分から、

どんどん遠ざかっていく自分を知って、

きっと、ひどく落ち込むだろう。

途中までうまくいっていたのに、どこで間違えたのだろう?

と、自分を責めるだろう。

ブロッコリーの運命は、残酷だ。

 

だったら、

夢いっぱいのこの時に、食べてあげたほうがいいのだ、

と思って、シチューに添えて、ムシャムシャ食べた。

美味しかった。

見えない象 2015.02.12

zou

zou

外を歩いていると、時々象みたいな匂いがする事がある。

動物園の、あの、象の匂いだ。

 

きっと、ゴミの匂いとか、土の匂いとか、

鳩の匂いとか、犬のフンの匂いとか、

色々な匂いが配分よく混じって、そんな匂いになるのだろう。

 

でも、見えない象がいるのかもしれない、と思う事もある。

そう考えた方が、面白いからだ。

 

見えない象は、何をしているのだろう?

何を考えているのだろう?

 

期間限定の透明生活だったら、楽しんでいるかもしれない。

無期限だったら、悲しい気持ちでいるかもしれない。

それとも、もう、すっかり慣れてしまっただろうか?

 

象の匂いがした時は、私は大げさに鼻をクンクンして、

不思議そうに辺りをキョロキョロ見回す事にしている。

もしも、象が楽しんでいるのだとしたら、

そんな人間を見て、より一層楽しいだろうし、

もしも、悲しい気持ちでいるとしたら、

匂いだけでも気づく人間がいるという事を、伝えたいからだ。

ほんの少しだけど、見えない象のなぐさめになるかもしれない。

 

象の匂いは、春先によく遭遇する。

もう、そろそろだ。

いつ何時、見えない象とすれ違っても良いように、

さり気なく、でも分かりやすく、

クンクンキョロキョロする準備を、しておかなくてはならない。

再校待ち 2015.02.08

2015.02.08

2015.02.08

新刊絵本の方は、初校の戻しが終わって、

今は再校待ちだ。

大問題だった象の尻尾は、色校中に、

無事に描き足した。

失敗しなくてよかった。

再校で、いい色になるといいなぁ。

 

待っている間に、次の絵本の準備と、

毎年億劫な、確定申告の作業。

 

写真は、次回作の色の感じとか、雰囲気とかを

考えているところ。

画材屋さんで、赤い絵具を色々と集めてみた。

赤ばかり買ったから、変な人だと思われたかもしれない。

 

確定申告は、一向に気持ちが向かないので、

ビールを飲みながらやっている。

自由業は大変だ…、とよく思うけれど、

会社でこんな事をしたら、

怒られるどころかクビになるだろうから、

やっぱり自由業でよかったなぁ、と思う。

祭のあと 2015.02.05

mizore

mizore

先日、例の天狗まつり・鳩界の大祭が行われた。

(詳細→鳩たちの増加 2015.01.22)

ところがそこでは、予想外の事が起きていたのだ。

 

天狗一行が豆をまいたそばから、

大学生風のボランティア団体が、清掃をしている。

その素早さと一生懸命さとクリーンな雰囲気は、

某遊園地にも引けをとらないほどの素晴しさで、

近隣の人たちの助けになったに違いないけれど、

この日を生き甲斐にしてきたであろう鳩たちの

無念さを思うと、なんともやり切れない。

悲しい気持になって、たいして祭を鑑賞する事もなく、

その日は帰宅したのであった。

 

良かれと思ってした事が、

誰かの生き甲斐を奪ってしまう事もあるのだ。

みんなの幸せというのは、なんて難しいのだろう。

そんな事を悶々と考えて、数日が経った今日。

 

冷たいみぞれが降る商店街の一角で、鳩の群を見た。

アスファルトの溝に残っていた僅かな豆カスを、

皆夢中で啄んでいる。

水溜りには豆カスが溶けた豆汁的なものが出来ていて、

これもいける、といった様子で、飲んでいる鳩もいる。

そうこうしている間にも、新たに飛んでくる鳩がいる。

クルルクルル…という鳴き声が、みぞれの音にまじって

かすかに響いていた。

 

よかった。

鳩たちの豆にかける想いに、胸がいっぱいになった。

みんなが幸せになる方法は、きっとある、と思った。

しっぽが欠けています 2015.02.03

2015.02.03

2015.02.03

先日納品した新刊絵本の初校があがってきたので、

色校をしに、版元さんに伺う事にした。

出かける準備をしていると、編集さんからメールを頂く。

 

今日はよろしくお願いします、といった内容のあとに、

「◯ページの象のしっぽが欠けています」とある。

印刷の際に、何かの手違いでちょっと欠けてしまった、

という程度のことを想像して、◯ページを見て驚愕した。

 

欠けている、と柔らかい表現にして下さっていたけれど、

しっぽの房の部分が、そっくりそのままなかったのだ。

印刷の手違いでも何でもない。

ただただ、私が描き忘れていたのだ。

 

納品前も、あんなに確認したし、

送っていただいた初校も、

やれ、ここにゴミがついてるだの、ここが黒すぎるだのと、

あんなに確認したのに、全然気付いていなかった。

 

恐ろしいことだ。

木を見て森を見ず、とは、このことだなぁ、と思った。

気付いてもらえて、本当によかった。

「インクとペンを持って伺います」と返信をして、家を出た。