いい場所 遠い場所 2015.03.17

nami

nami

昔お世話になった人が、亡くなった事を知る。

 

最近お見かけしなかったけれど、

「いい場所を見つけたから、移住しようと思う」

という話を聞いていたから、

その遠い場所で、元気に過ごしているのだと思っていた。

驚いたのと、実感が湧かないのとで、

なんとなく、1日ふわふわと過ごす。

 

まだ仕事がほとんどなかった頃、

少し、その人の手伝いをさせてもらっていた。

今流行りの、勉強という名のただ働きなんかではなくて、

ちゃんとお金も貰っていた。

 

当時はあまりよく考えなかったけれど、それは、

その人のさり気ない優しさだったのだと気付いた。

いくら人手が必要だったとしても、

何の経験もない若者に手伝いをさせてくれるなんて、

それ以外に考えられない。

少しでも生活の足しになれば、と思ってくれていたのだろう。

 

もっと、心からお礼を言わなくてはいけなかったし、

さり気ない優しさに、

その時ちゃんと気付かなければいけなかった。

 

その人が、いい場所、と言っていた場所に、

いつか行ってみたいな、と思った。

3月ウサギ 2015.03.16

3gatsuusagi

3gatsuusagi

夜中に窓を開けてみると、

斜め向かいの建物の壁に、チラチラと動く物が見える。

 

風で揺れる木の影が映っているのだ。

大きな木に、2足歩行のウサギが、

頭を打ち付けているように見える。

狂ったように、何度も何度も、せわしなく。

 

3月ウサギだな、と思う。

明日は、帽子屋がやって来るかもしれない。

発売 2015.03.11

20150311

20150311

私の4冊目の絵本「まちのひろばのどうぶつたち」が、

徐々にお店に並び始めたようだ。

写真は、昨日友人が送ってくれたもの。

 

 

この絵本は、自分が今まで書いた中で、

1番明るくて優しいお話になったと思う。

 

よくよく考えると、なかなかに切ないお話なのだけど、

なぜか明るく、どこか呑気さすら漂っているのは、

主人公の動物たちが、ひたすら光の方を、

見続けていたからだと思う。

 

どんな時でも、例えば真っ暗闇の中にいるような時でも、

小さな光さえあれば、完全にしょぼくれてしまう事なんて、

きっとない。

 

もしも光が見つからないような時でも、

それを探そうとする心は、光そのものだ。

 

なぜならその光というのは、自分と自分以外の世界を繋ぐ、

穴から洩れてくるものだからだ。

穴は、どこにだってきっとあける事が出来るし、

大きくする事だって、きっと出来るのだ。

 

ひたすら光を見ていたつもりが、

実は自分自身が小さな光になっている事だって、

きっとある。

 

私たちの世界は、そういう無数の小さな光で、

照らされているのだと思う。

 

でも、その光を誰が作っているのかは、

誰も知らないのかもしれない。

 

 

この絵本を一緒に作って下さった、

編集の榎さんと、デザイナーの郷坪さん。

本当にありがとうございました!

中でも、タイトル文字を作っていただいた事、

表紙の質感を、私の希望を叶えていただいた事に、

大変大変大変!感謝しています。

 

「まちのひろばのどうぶつたち」

沢山の人に(小さな人にも大きな人にも)、

末永く、読んでもらえますように。

3月のカレンダー 2015.03.06

2015.03.06

2015.03.06

新しい絵本が完成して、気もそぞろでいたらしく、

3月のカレンダーの事を、すっかり忘れていた。

 

3月は女の子。

もう終わってしまったけど、

ひな祭りにちなんで女の子。

 

そういえば、2月のカレンダーを、

ニンニクだと思っていた人がいたらしい。

「う◯ち?」

とは、時々言われたけれど、

ニンニクは初めてだった。

個性派だと思った。

勘違い 2015.03.01

kumo

kumo

朝、2度寝をしていると、部屋の中に生き物の気配がする。

おかしい。

私は生き物なんて飼っていないのに。

何か紛れ込んだのだろうか?

 

うつらうつらと考えていると、

生き物の気配は、どんどん近付いてきて、

ついにベッドに乗ってきた。

寝ている私の顔に、クンクンと鼻を近付けている。

髭がくすぐったい。

 

猫だ。

今目を開けたら、驚いた猫に顔をひっかかれるかもしれない。

ここは、慎重にいかなければ…

 

と思ったところで、はっきりと目が覚めた。

勿論、猫なんていなかった。

 

私は直観的に、ついにあの子が召されたのだ、と思った。

あの子というのは、友人の家の猫で、

もういつ召されてもおかしくない、たいそうな老猫の事である。

飼い主も、今年の冬は越せないかもしれない…

今年の夏は越せないかもしれない…

と、数年間言い続けている。

家族でもない私に、別れの挨拶をしに来てくれたのだろうか?

律儀な猫だなぁ、としんみり思った。

 

昼間、確信を持って、飼い主に猫の安否を確認してみる。

「元気だよ!」と、少し怒られる。

勘違いでよかった。

お話のはじまりのお話2 2015.02.25

2015.02.25

2015.02.25

「まちのひろばのどうぶつたち」は、

以前作ったカレンダーに登場する動物たちと、

時々街中で感じる象みたいな匂いと、子供の頃のある体験が、

パズルみたいにくっついて出来たお話だ。

(report お話のはじまりのお話 1 2015.02.21)

今日は、子供の頃のある出来事について、書こうと思う。

 

小学校の頃だった。まだ、10歳にもならない頃だ。

その時のクラスに、ひとり、喋らない生徒がいた。

挨拶をしても、話しかけても、下を向いたまま喋らない。

私は、よく分からないながらも、あの子はきっと、

喋れない病気なんだな、と思っていた。

その子はいつも1人だったけど、

からかったり、意地悪をしたりする子は、いなかったと思う。

きっとみんな、私と同じように感じていて、

なんとなく、そっとしておくのがいいのかな…、

と思っていたのだと思う。

 

そんなある日の事だった。

ホームルームの時間に、先生がこんな話を始めた。

「このクラスに、誰よりも

お掃除を一生懸命やってくれる子がいます。

みんなは知らないと思うけれど、その子は休み時間、

先生の黒板消しを、いつもきれいにしてくれます。

短いチョークを新しいチョークに替えてくれます。

教室にお花を持ってきてくれたり、

花瓶の水を、毎日替えたりしてくれます。

誰だか分かりますか?」

 

教室中が、ざわざわした。

みんな、誰の事だか分からなかったのだ。

 

それを制するように、先生は静かに、

でもよく通る声で、こう続けた。

「それは、◯◯さんです。」

それは、喋らないあの子の名前だった。

 

多分私は、その子より後の席だったのだろう。

教室中の生徒たちが、一斉に振り向いて、

その子の事を見た光景を、今でも鮮やかに覚えている。

オーラという言葉を簡単に使いたくはないけれど、

やっぱりあれは、オーラというようなものだったと思う。

その子から、その子の色が、光の粒になって、

教室中に広がって行くのが、その時は本当に見えた。

私はただただ、すごいと思って、体の中がザワザワして、

なんだか泣いてしまいそうだった。

当時は言葉に出来なかったけれど、今思えば、

心を揺さぶられる、とか、感動する、という事だったと思う。

 

その日をきっかけに、その子が活発な子になった。

…なんて事はなくて、変わらず大人しい子だったけれど、

話しかけるとうなづいてくれたり、短い返事をしてくれるようになった。

喋れないわけではなくて、きっと、極度の人見知りだったのだろう。

 

その子はずっとその子だったけれど、はっきりと変わったものがあった。

それは、周りの生徒たちが、その子について知ったという事だ。

それは、静かだけれど、大きな変化だった。

 

あれからだいぶ年月が経ち、この絵本を書きはじめて、

ひとつ、気付いた事がある。

 

私は当時、その子の事を、

誰にも気付かれないのに善い事をするなんて、天使みたいな子だなぁ!

と思っていたけれど、それはちょっと、違っていたかもしれない。

確かにその子は、優しい子だったと思うし、それは間違いではないけれど、

それだけではなかったのではないか?と、思うようになった。

 

あの子がしていた事は、決して慈善のようなものではなくて、

あの子にとって、それが唯一の、

教室という世界と繋がるための方法だったからかもしれない、

と思うようになった。

やっぱりどこかで、誰かに気付いてほしかったのかもしれない、

と思うようになった。

そう思うと、その切実さに、少し胸が痛んだ。

 

でも、あの子は楽しくもあったのかもしれない、と思った。

例えば先生が、新しいチョークで字を書くとき。

例えば誰かが、花を見ている時。

まるで、いたずらが成功した時みたいに、嬉しかったのかもしれない。

切実さの中で、きっと少し。

 

それに気付いてから、

切なさよりも、楽しさが前に出たお話にしたくなった。

ずっと、柔らかい光に包まれたようなお話にしたくなった。

今まで自分が書いた中で、1番優しいお話になった。

お話のはじまりのお話1 2015.02.21

20150221

20150221

3月に発売予定の新刊絵本

「まちの ひろばの どうぶつたち」(あかね書房)は、

街を舞台にした、不思議な動物たちのお話だ。

 

お話のはじまりには、いつもきっかけがあって、

今回は、2013年のカレンダーの1枚だった。

販売用に私が作った物で、1ヶ月毎に、

小さな線画と短い文が入った、卓上カレンダー。

 

9月の動物たちを主人公にしたお話が書きたくなった。

背景はカラフルで、主人公は線だけのお話。

 

すぐに、時々思っていた事が、頭に浮かんだ。

外を歩いていると、時々、象なんていないのに、

象みたいな匂いがする事があって、

実は、見えない象が歩いているのかもしれないなぁ、

と思う事があるのだ。

その事と、9月の動物たちが結びついた。

お話が作れそうだと思った。

 

9月の動物たちと、街の中の象の匂いと、

それから子どもの頃のある出来事が加わって、

「まちの ひろばの どうぶつたち」が出来た。

 

子どもの頃のある出来事については、

また今度書こうと思う。

校了 2015.02.17

20150217_1

20150217_1

 

20170217_2

新刊絵本が、ついに校了した。

 

一昨年の秋頃に、編集さんとお話をして、

それからぼんやりと空想をして、

去年の1月くらいから、本格的に構成を始めたから、

制作期間は、ちょうど1年くらいだ。

1年間、ほとんど毎日考えていたから、

終わってしまって、少し寂しい。

 

校了したので、机周りの整理を始めた。

写真は、半年くらい前に作った、

大きさ確認表と、服装表。

どちらも制作中、大活躍だった。

思い出化すると、捨てられなくなるので、

校了したら、すぐに捨てるようにしているのだけど、

これは大事にとっておこうと思う。

 

「まちの ひろばの どうぶつたち」(あかね書房)

書店に並ぶのは、3月の2週目くらいになるそうだ。

とても楽しみだ。

ブロッコリーの夢 2015.02.16

blocco

blocco

夕飯のために買ってきたブロッコリーが、

大変立派だったので、まな板の上に立ててみる。

 

立った。

フラフラする事もなく、とてもバランスよく、

いとも簡単に立った。

あまりに見事なので、しばらく眺めてみる。

 

木だ。

これはもう、木だなぁ、と思う。

 

眺めてばかりいても、夕飯の支度が進まないので、

房に切り分ける。

 

木だ。

房に分けても、やっぱり木だ。

 

ブロッコリーは、木になりたいのだろうなぁ、と思う。

植物だから、「木になりたいなぁ」などとは言わないけれど、

その意気込みは、相当なものに違いない。

 

そんな、夢いっぱいのブロッコリーを食べるのが、

なんだか気の毒になってきた。

ブロッコリーを放っておいたら、

木になる可能性はあるのだろうか…?

 

残念ながら、ないだろう。

調べたわけではないので、定かではないけれど、

木になるどころか、ひょろひょろと細長く伸びたりして、

挙げ句、花が咲いたりするのだろう。

 

ブロッコリーは、自分が理想とする自分から、

どんどん遠ざかっていく自分を知って、

きっと、ひどく落ち込むだろう。

途中までうまくいっていたのに、どこで間違えたのだろう?

と、自分を責めるだろう。

ブロッコリーの運命は、残酷だ。

 

だったら、

夢いっぱいのこの時に、食べてあげたほうがいいのだ、

と思って、シチューに添えて、ムシャムシャ食べた。

美味しかった。

見えない象 2015.02.12

zou

zou

外を歩いていると、時々象みたいな匂いがする事がある。

動物園の、あの、象の匂いだ。

 

きっと、ゴミの匂いとか、土の匂いとか、

鳩の匂いとか、犬のフンの匂いとか、

色々な匂いが配分よく混じって、そんな匂いになるのだろう。

 

でも、見えない象がいるのかもしれない、と思う事もある。

そう考えた方が、面白いからだ。

 

見えない象は、何をしているのだろう?

何を考えているのだろう?

 

期間限定の透明生活だったら、楽しんでいるかもしれない。

無期限だったら、悲しい気持ちでいるかもしれない。

それとも、もう、すっかり慣れてしまっただろうか?

 

象の匂いがした時は、私は大げさに鼻をクンクンして、

不思議そうに辺りをキョロキョロ見回す事にしている。

もしも、象が楽しんでいるのだとしたら、

そんな人間を見て、より一層楽しいだろうし、

もしも、悲しい気持ちでいるとしたら、

匂いだけでも気づく人間がいるという事を、伝えたいからだ。

ほんの少しだけど、見えない象のなぐさめになるかもしれない。

 

象の匂いは、春先によく遭遇する。

もう、そろそろだ。

いつ何時、見えない象とすれ違っても良いように、

さり気なく、でも分かりやすく、

クンクンキョロキョロする準備を、しておかなくてはならない。