次の準備 2015.04.21

20150421

20150421

「まちのひろばのどうぶつたち」発売から、1ヶ月程経った。

時々、友人知人が感想を書いてくれるのが、とてもありがたい。

身分を明かした上で何かを書くという事は、

実はすごく大変な事だし、

特に、知人が作った物に対して何かを書くという事は、

とても気を遣うものだ。

「ありがとう」としか言えないけれど、

本当に本当にありがとう、と思っている。

 

今は、次の絵本の準備をしている。

次は、月刊絵本の12月号。

私にとって、初めての月刊絵本だ。

市販の絵本は、大まかなラフを確認してもらって、

細かい部分はお任せしてもらう感じだったけれど、

月刊絵本は、ラフの確認が丁寧な印象。

大まかなラフはもう確認してもらったのだけど、

下絵に近い状態のラフを、今確認してもらっている。

きっと、色んな子が見るからだろうな。

 

待っている間に、溜まりに溜まった見本誌や原画やラフの整理。

写真は、ようやくファイリングした「かきたいな かきたいな」の

スケッチやら習作やら。

今週中に、すっきりさせるのが目標。

何派か分からない 2015.04.17

yakitori

yakitori

近所の焼き鳥屋の前を、いつもウロついている鳩集団がいる。

鶏を焼く匂いがするだろうに。

怖くないのだろうか?

 

何を食べているのか、丸々と太っている。

焼き鳥屋の前で太るなんて、

相当何も考えていないボンヤリ派か、

もしくは日本では鳩が食べられる事なんてない、

と高を括っている頭脳派か、どちらかだろう。

鳩のイメージとは程遠いけれど、

食えるもんなら食ってみろ、

と挑発している戦闘派という可能性もある。

その場合、丸々と太っているように見えて、

実は全部筋肉、マッチョなのかもしれない。

 

人間ならば、何派なのか、見れば大体分かるし、

犬や猫も、何となく分かる気がするけれど、

鳩となると、なかなかそうはいかない。

皆素っ頓狂な顔で、何もなさそうな地面を突いてみたり、

ゴミを啄んでペッと吐き出した直後、

忘れたのか、やっぱりいけるんじゃないかと思ったのか、

もう1度同じゴミを啄んでまたペッと吐き出すという行為を

繰り返してみたり、

首をキコキコ動かしてみたり、突然飛んでみたり、

かと思えば、車が来ているのに地面突きに夢中になって、

車を立ち往生させてみたりするばかりで、

こんな事を言っては何だけれど、もしかして皆ボンヤリ派…

というか、むしろボンクラ派なのではないだろうか…?

と思えてくる。

 

でも、そんなはずはない。

人間にも色々いるように、犬や猫にも色々いるように、

鳩だって、色々なはずだ。

 

眺めていたら、1羽の鳩と目が合った。

向こうもこちらをじっと見ている。

身体の割に小さな頭が、太ったせいで、より小さく見える。

この鳩は、何派なのだろうか?

1対1なら、分かるかもしれない。

 

しばらく見つめあっているうちに、

こいつは本当にボンヤリ派というか、

限りなくボンクラ派なのかもしれない、と思った。

向こうもそう思っていたかもしれない。

お餅とニッパー 2015.04.09

nipper

nipper

絵本のラフを描いていた。

主人公の部屋のページだ。

机の上に、何か置物があるといいなぁ、

そうだ、昔家にあったビクターの犬の置物を参考にしよう、

と思って画像検索していたら、

すっかりその犬に夢中になってしまった。

 

心打たれるエピソードについては聞いた事があったけれど、

犬の名前は知らなかった。

“ニッパー”というらしい。

忠犬のイメージが強いけれど、結構ヤンチャな犬だったようだ。

どこまで本当か、自分からケンカはふっかけないものの、

犬とのケンカには負けた事がないらしい。

何だか、相当かっこいい。

 

犬という生き物としての形と、

あのエピソードを活かす事を考えると、

ベストショットは横姿なのだと思うけれど、

哀愁漂う後姿がたまらない。

背中の皺が、たまらない。

気がつくと、私は「ニッパー 背中」で検索した画像を

保存しまくっていた。

 

私がいつか犬を飼える日が来たら、

“おもち”という名前にしようと思っていた。

白くて短毛の犬で、所々茶ばんだ部分があるのだ。

その茶ばんだ部分を、“焦げ目”と呼び、

「おもちは本当にお餅みたいだねぇ」と言って可愛がるのが夢だ。

もし茶ばんだ部分がなかったとしても、大丈夫だ。

その場合は、散歩の後に土がついて汚れた部分を

「焦げ目がついちゃったねぇ」と言いながら拭いてあげればいい。

正月に、呑気に雑煮の餅を食べながら、

「おもちみたいだねぇ」と言って一笑いするのが夢だった。

 

今も、その夢は変わらない。

でも、“ニッパー”もいいなぁ…と思い始めてしまった。

困った事になった。

どちらか1匹なんて、選べない。

 

頭の中を、おもちとニッパーが走り回っている。

ニッパーがじゃれて、おもちのお尻を噛んだりしている。

おもちもイヤじゃなさそうだ。

 

どうやら、2匹は仲良くやれそうだ。

ますます、選べなくなった。

おもちとニッパーという2匹の犬を飼うことが、

私の新しい夢になった。

頑張って稼がなくてはいけない、と思った。

すずちゃんのお手紙 2015.04.05

20150405

20150405

前回の記事「4月のカレンダー 2015.04.01」にも

登場した、小学生の女の子、すずちゃん。

 

すずちゃんは、オレンジページ「もぐもぐさん」で

お世話になった、料理家のHikaruさんのお子さん。

私の新しい絵本が出ると、お手紙をくれる。

 

「ドーナツこ」「ちいさなぬま」「かきたいな」、

それぞれの絵を描いてくれた。

いつも本当に嬉しくて、元気が出る。

落ち込んだ時は、すずちゃんのお手紙を見ると、

またがんばろうって思える。

 

新刊「まちのひろばのどうぶつたち」の絵も描いてくれた。

今回は、シンプルな線画に、開いた時の仕掛けも!

きっと、透明な動物たちに合わせてくれたんだろうな。

ありがとう、すずちゃん。

すずちゃんとHikaruさんに、会いたいな。

 

最近、久しぶりに会った友達に、

「うちの子が、『かきたいな かきたいな』を

すごく読んでるよ!」

って教えてもらった。

ものさしの事を、シュパシュパって呼んでるみたい。

2歳の男の子。可愛いな。

 

それとほぼ同時期に、絵本を置いてくれている

近所のごはん屋さんの人が、

「この前来たお客さんが、『かきたいな かきたいな』を見て、

これ、うちの子が好きな本です、って言ってましたよ〜」

って教えてくれた。

 

「かきたいな かきたいな」が刊行されて、ちょうど1年。

こんな話が聞けて、すごく嬉しい。

最初の反応は気になるけれど、

だんだんと、少しずつでも、

この本が好きって思ってくれる人が、増えた方が楽しい。

1年目より、2年目。2年目より、3年目。

そんな風に、増えていくといいな。

4月のカレンダー 2015.04.01

20150401

20150401

4月はネギ坊主。

(8月の誰かさんの顔が入ってしまった!)

 

可愛い蝶々は、小学生の女の子、

すずちゃんが作ってくれたもの。

 

すずちゃんのお家では、

私のカレンダーと一緒に、

蝶々を飾ってくれているみたい。

嬉しいな。

 

私も真似して飾ってみた。

ネギ坊主に蝶々が寄って来たみたい。

 

実際はどうなんだろう?

蝶々は、ネギ坊主、好きなのかな?

ネギ坊主、ネギくさいからなぁ。

あんまり好きじゃなさそう。

ちょっとこわい 2015.03.25

hana

hana

そろそろアメンボが目覚める頃かと、

いつもの小川沿いを歩いて探す。

アメンボは、まだいない。

アメンボは、まだ眠っている。

冬眠に失敗して、そのまま目覚めない

アメンボもいるのだろう。

ちょっとこわい。

 

サクラの木の根元に、

イボみたいに飛び火した蕾が開いていた。

上の桜は、まだ咲いていない。

きれいというよりも、ちょっとこわい。

 

モクレンの花のつぼみが、膨らんでいた。

遠くからみると、白い鳥が、

鈴生りになっているみたいに見える。

可愛いというよりも、ちょっとこわい。

 

ネコヤナギの花穂が出ていた。

残酷で大きな生き物が、

小さな生き物の群れをむさぼり食べて、

尻尾だけ食べ残して枝に刺したみたいだと思った。

触ってみたら、柔らかかった。

本当に尻尾みたいだな、と思ってしまった。

本当にちょっとこわくなった。

 

物語ではこういう時、

小さな生き物の群れの中で、

1番小さな子だけが逃げ延びて生き残って、

いつか大きな生き物に復讐するのだ。

それもまた、いつかの春の事だろう。

大きな生き物は、食べ損ねた小さな生き物を、

高を括りながら、でも、いつもどこか怯えながら、

春を過ごすのだろう。

 

いるはずのない小さな生き物と大きな生き物に、

どちらもがんばれ〜、と思いながら帰った。

いい場所 遠い場所 2015.03.17

nami

nami

昔お世話になった人が、亡くなった事を知る。

 

最近お見かけしなかったけれど、

「いい場所を見つけたから、移住しようと思う」

という話を聞いていたから、

その遠い場所で、元気に過ごしているのだと思っていた。

驚いたのと、実感が湧かないのとで、

なんとなく、1日ふわふわと過ごす。

 

まだ仕事がほとんどなかった頃、

少し、その人の手伝いをさせてもらっていた。

今流行りの、勉強という名のただ働きなんかではなくて、

ちゃんとお金も貰っていた。

 

当時はあまりよく考えなかったけれど、それは、

その人のさり気ない優しさだったのだと気付いた。

いくら人手が必要だったとしても、

何の経験もない若者に手伝いをさせてくれるなんて、

それ以外に考えられない。

少しでも生活の足しになれば、と思ってくれていたのだろう。

 

もっと、心からお礼を言わなくてはいけなかったし、

さり気ない優しさに、

その時ちゃんと気付かなければいけなかった。

 

その人が、いい場所、と言っていた場所に、

いつか行ってみたいな、と思った。

3月ウサギ 2015.03.16

3gatsuusagi

3gatsuusagi

夜中に窓を開けてみると、

斜め向かいの建物の壁に、チラチラと動く物が見える。

 

風で揺れる木の影が映っているのだ。

大きな木に、2足歩行のウサギが、

頭を打ち付けているように見える。

狂ったように、何度も何度も、せわしなく。

 

3月ウサギだな、と思う。

明日は、帽子屋がやって来るかもしれない。

発売 2015.03.11

20150311

20150311

私の4冊目の絵本「まちのひろばのどうぶつたち」が、

徐々にお店に並び始めたようだ。

写真は、昨日友人が送ってくれたもの。

 

 

この絵本は、自分が今まで書いた中で、

1番明るくて優しいお話になったと思う。

 

よくよく考えると、なかなかに切ないお話なのだけど、

なぜか明るく、どこか呑気さすら漂っているのは、

主人公の動物たちが、ひたすら光の方を、

見続けていたからだと思う。

 

どんな時でも、例えば真っ暗闇の中にいるような時でも、

小さな光さえあれば、完全にしょぼくれてしまう事なんて、

きっとない。

 

もしも光が見つからないような時でも、

それを探そうとする心は、光そのものだ。

 

なぜならその光というのは、自分と自分以外の世界を繋ぐ、

穴から洩れてくるものだからだ。

穴は、どこにだってきっとあける事が出来るし、

大きくする事だって、きっと出来るのだ。

 

ひたすら光を見ていたつもりが、

実は自分自身が小さな光になっている事だって、

きっとある。

 

私たちの世界は、そういう無数の小さな光で、

照らされているのだと思う。

 

でも、その光を誰が作っているのかは、

誰も知らないのかもしれない。

 

 

この絵本を一緒に作って下さった、

編集の榎さんと、デザイナーの郷坪さん。

本当にありがとうございました!

中でも、タイトル文字を作っていただいた事、

表紙の質感を、私の希望を叶えていただいた事に、

大変大変大変!感謝しています。

 

「まちのひろばのどうぶつたち」

沢山の人に(小さな人にも大きな人にも)、

末永く、読んでもらえますように。

3月のカレンダー 2015.03.06

2015.03.06

2015.03.06

新しい絵本が完成して、気もそぞろでいたらしく、

3月のカレンダーの事を、すっかり忘れていた。

 

3月は女の子。

もう終わってしまったけど、

ひな祭りにちなんで女の子。

 

そういえば、2月のカレンダーを、

ニンニクだと思っていた人がいたらしい。

「う◯ち?」

とは、時々言われたけれど、

ニンニクは初めてだった。

個性派だと思った。