おわかれ 2013.03.06

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阿佐ヶ谷住宅が、いよいよ取り壊しになるらしい。

最後にもう1度見ておきたくて、今日、久しぶりに行って来た。

中野区に住んでいた頃、友人に教えられて、何度か訪れた事がある場所。

初めて見た時は、「こんな場所があるなんて!」と、本当にびっくりした。

そこは、私たちがある時点で選ばなかったものが、別の次元で存在しているような、「もしもあの時こっちを選んでいたら」の先にあるような、望んでいながらもあり得ないような場所で、あるいはそんな物語に出てきそうな、素晴らしい場所だった。

青い空に、赤い三角屋根、白い壁と黒い数字、木々の緑に、みかんの黄色。その色の組み合わせが、奇跡みたいに健やかに美しくて、私はいつも、そのみかんが欲しくて欲しくて、匂いを嗅いでみたくて、食べてみたくて、うらやましくて、でも叶わなくて。

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今日、久しぶりに訪れた阿佐ヶ谷住宅は、「立ち入り禁止」のロープが至る所に貼られていて、通れる場所は、ごく一部になっていた。その入口近くの大きな木の下に、大きなネコが座っていて、目が合うと、「みゃあ」と言った。

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今日も、やっぱりみかんが、たわわになっていた。切られてしまうのだろうか?と思うと、悲しくて悔しかった。どうしても、記念にひとつ頂きたくて、落ちているみかんを見つけては、手に取ってみたけれど、どれも痛んでいた。だけど、みかんのいい匂いがした。(みかんのことばかり言っていて、バカみたいだけど、果物は、象徴という感じがするのだ。時間と、土地と、生き物と、人の。)

みかんを探していると、木の枝を、少しだけ折っている老夫婦とすれ違った。老夫婦は、こちらに気づくと、ちょっとバツが悪そうに、その枝を、大事そうに抱えて帰った。あ、一緒だ、と思った。

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諦めて帰ろうとして、入口に戻って来た時、木の陰の奥の方に、丸い小さな黄色いものが目に入った。

来た時は気がつかなかったけれど、みかんだった。

小さいけれど、きれいで、いい匂いがした。嬉しくて嬉しくて、心の中で「ひとつ、下さいな」と言って、鞄の中にそっとしまった。

さっきのネコは相変わらず同じ場所にいて、また「みゃあ」と言った。きっと、許してもらえるでしょう。

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この場所には、大きなマンションが建つと聞いた。詳しいことは知らないのだけど、大きなマンションを建てれば、人がたくさん住んで、儲かるから、ということだろうか?

でも、本当に?と思う。

全体の人数は増えていないのに、今の何倍(何十倍?何百倍?)の人が、どこからやって来るというのだろう?

よくわからない。

でも、やって来るのかもしれない。その土地の文脈を、物語を気にしない、新しさや便利さや効率を好む、どこでも生きていける強い人たちが。

そういう人や生き方を、否定しているわけではない。みんながみんな、文脈にとらわれていたら、きっと世界は偏ってしまうだろう。お父さんとお母さんに、別の役割があるように、それぞれの役割を、私たちは担っている。

だけど、少なくともあの場所は、強い人たちの場所ではなかったと思う。文脈を、物語を大切にする、そういう人たちの聖域だったと思うのだ。

生き物はいつか死ぬし、物はいつか壊れるし、そのまま残すことは叶わなくても、せめて良さを残すことは出来ないのか?と思うと、やっぱりモヤモヤとして、やるせない気持を抱えて家に帰った。

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頂いた小さなみかんを、ドライフラワーのように、出来ないかな?

今日の一瞬を、写真みたいに何年も、何十年も、部屋に飾っておきたいな。

そう思った。