光の粒の話 2015.10.23

hikari

とても嬉しい事があった時、私には、

光の粒(のようなもの)が見える事がある。

〝世界がキラキラ輝いて見える〟

なんていう表現があるけれど、それを現実にしたような、

木漏れ日のようなものが、自分の視界に溢れかえっているような、

そんな時がある。

 

長い間、それは自分の気のせいだと思っていた。

〝世界がキラキラ輝いて見える〟というよくある表現に、

自分の感覚が引っ張られているのだと思っていた。

ところがある時、その話をしたら、

理系の知人が、こんな事を教えてくれた。

嬉しい事があると、脳の中で、あるホルモンが出て、

その影響で瞳孔が大きくなり、光を多く感じるというのだ。

「僕も、嬉しい事があると、キラキラして見えますよ。」

知人はそう言った。

 

こういう時、夢のない話と思うか、

むしろ夢のある話と思うかは、

両極端に分かれるのではないかと思う。

私の場合は後者だ。

自分の気のせいだと思っていた事が、現実に起こりうる事で、

おそらく多くの人も経験している事だという事が分かったのだ。

なんて夢のある話だろう!と思った。

 

残念ながら、そのホルモンの名前は忘れてしまった。

教えてくれた理系の知人は、もうこの世にいない。

だから、もう1度聞く事は出来ないのだ。

検索をかければ、すぐに分かる事だろうと思う。

でも、しないでおこうと思う。

いつか、偶然手にした本の1文に、

それを見つけるかもしれないし、

別の誰かが教えてくれるかもしれない。

それを、楽しみに待とうと思う。

 

理系の知人に、光を見せた嬉しい出来事は、

どんな出来事だったのだろう?

その時の情景は、まるで例の光が焼き付けた写真のように、

記憶の中に、ずっと大切に残されていただろう。

そういう幸せな記憶は、

たとえその人が消えてしまった後も、この世に留まって、

宙に漂ったりしているのではないだろうか?

そして時々、誰かの夢の中に忍び込んでは、

幸せな夢となって現れるような、

そんな事もあるのではないだろうか?

 

そんな気がする。

ただの、気のせいの話だ。

でもその気のせいを、あの時のように、

いつか誰かが証明してくれるかもしれない。

そんな嬉しい事があったら、

私はまた、光の粒を見るだろうと思う。