イカと湿布と焼却炉 2015.06.05
雨の絵がうまくいかなくて、 ひたすら点々点々と試作をしていたら、右手の親指が痛くなった。 寝たら治るかと思っていたら、治らない。 悪化すると大変だという話を聞くので、大げさな気もしたけれど、 湿布を貼って過ごす事にした。 湿布なんて久しぶりだなぁ、と思っていたら、ある騒動を思い出した。 子供の頃の、バカげた騒動である。
最近はどうか分からないけれど、私が子供の頃は、 田舎では一家に一台くらいの高確率で、焼却炉があった。 ドラム缶だとか一斗缶だとかで作った、自作の焼却炉である。 その焼却炉で、燃せるゴミはじゃんじゃん燃していた。 なぜ、わざわざ家で燃していたのだろうか? ゴミの収集が、有料だったのだろうか? それとも昔からの習慣だろうか? 子供だったので、その辺の事情は考えもしなかったけれど、 当時は大抵の家で燃していた。
我が家にも、一斗缶タイプの焼却炉があった。 冬場のゴミ燃やしは幼心に楽しく、私も率先して手伝ったものだった。
その騒動は、私がゴミ燃やしなんて手伝わなくなった頃… 多分、小学生の終わり頃から、中学生になった頃に起きた。 母が、家の焼却炉に、ブヨブヨに腐ったイカを入れられたと言うのだ。 その日は、図々しい人がいるものねぇ、という話で終わった。
ところが次の日も、イカを入れられたというのだ。 もしかして、嫌がらせかしら?という話になった。
それからも、イカを入れられる日が続いた。 母は、近所の人かしら?何か恨まれるような事をしたのかしら? と、ノイローゼのようになっていた。 あんた、恨まれるような事したんじゃないの?と、 あらぬ疑いをかけられ、私も滅入った。 家に嫌がらせをするために、 毎日イカを買って腐らせる手間を惜しまない人を思うと、 相当なものを感じた。
ところがそれは、とんだバカげた勘違いだったのである。 ブヨブヨに腐ったイカの正体は、母の湿布だったのだ。 「あれ、イカじゃなくて私の湿布だったの」 ある日家に帰ると、誰もいないのに小声で母が言ってきた。 「ちょっと来て」 そう言われて、焼却炉でゴミが燃える様子を見せられた。
紙類などが燃えてスス化していく中、 湿布のペタペタした部分が熱で溶けてブヨブヨになって、 クルンと反り返り、火が消えた後それだけ残った。 湿布の残骸は、確かに腐ったイカに似ていた。
湿布は燃やせないのね、と母は言った。 当たり前だと思った。 あんなに湿り気のあるものを、なぜ燃やせると思ったのか?
家の焼却炉は、いつの間にかなくなってしまった。 いつなくなったのだろうか? そういえば、親指の痛みも、いつの間にか消えていた。 使用済みの湿布を、久しぶりに燃してみたくなった。 |