雨の絵がうまくいかなくて、
ひたすら点々点々と試作をしていたら、右手の親指が痛くなった。
寝たら治るかと思っていたら、治らない。
悪化すると大変だという話を聞くので、大げさな気もしたけれど、
湿布を貼って過ごす事にした。
湿布なんて久しぶりだなぁ、と思っていたら、ある騒動を思い出した。
子供の頃の、バカげた騒動である。
最近はどうか分からないけれど、私が子供の頃は、
田舎では一家に一台くらいの高確率で、焼却炉があった。
ドラム缶だとか一斗缶だとかで作った、自作の焼却炉である。
その焼却炉で、燃せるゴミはじゃんじゃん燃していた。
なぜ、わざわざ家で燃していたのだろうか?
ゴミの収集が、有料だったのだろうか?
それとも昔からの習慣だろうか?
子供だったので、その辺の事情は考えもしなかったけれど、
当時は大抵の家で燃していた。
我が家にも、一斗缶タイプの焼却炉があった。
冬場のゴミ燃やしは幼心に楽しく、私も率先して手伝ったものだった。
その騒動は、私がゴミ燃やしなんて手伝わなくなった頃…
多分、小学生の終わり頃から、中学生になった頃に起きた。
母が、家の焼却炉に、ブヨブヨに腐ったイカを入れられたと言うのだ。
その日は、図々しい人がいるものねぇ、という話で終わった。
ところが次の日も、イカを入れられたというのだ。
もしかして、嫌がらせかしら?という話になった。
それからも、イカを入れられる日が続いた。
母は、近所の人かしら?何か恨まれるような事をしたのかしら?
と、ノイローゼのようになっていた。
あんた、恨まれるような事したんじゃないの?と、
あらぬ疑いをかけられ、私も滅入った。
家に嫌がらせをするために、
毎日イカを買って腐らせる手間を惜しまない人を思うと、
相当なものを感じた。
ところがそれは、とんだバカげた勘違いだったのである。
ブヨブヨに腐ったイカの正体は、母の湿布だったのだ。
「あれ、イカじゃなくて私の湿布だったの」
ある日家に帰ると、誰もいないのに小声で母が言ってきた。
「ちょっと来て」
そう言われて、焼却炉でゴミが燃える様子を見せられた。
紙類などが燃えてスス化していく中、
湿布のペタペタした部分が熱で溶けてブヨブヨになって、
クルンと反り返り、火が消えた後それだけ残った。
湿布の残骸は、確かに腐ったイカに似ていた。
湿布は燃やせないのね、と母は言った。
当たり前だと思った。
あんなに湿り気のあるものを、なぜ燃やせると思ったのか?
家の焼却炉は、いつの間にかなくなってしまった。
いつなくなったのだろうか?
そういえば、親指の痛みも、いつの間にか消えていた。
使用済みの湿布を、久しぶりに燃してみたくなった。
