いつもの散歩道に、白い鳩を一羽見つけた。
ちょこちょこと歩きながら、道沿いの草の芽か何かを啄ばんでいる。
よく見ると、真っ白ではなくて、
胸のところに一箇所だけ、茶色が入っている。
書初め用の太い筆で、「、」をひとつ書いたくらいの大きさの茶色だ。
白い鳩はあまり見かけないので、珍しくて目についた。
大学時代は、裏に靖国神社があったので、白い鳩は毎日のように見ていた。
当時は、どうして白い鳩ばかりいるのか不思議だったけれど、
神社で飼っているものらしい。
後で知った事だ。
白い鳩を、同じ場所で次の日も見かけた。
胸のところに、茶色がある。
同じ鳩だ。
気付かなかっただけで、この辺に前からいたのかもしれない。
やはり、草の芽か何かを啄ばんでいる。
勝手に「シロウ」と名付けた。
その日から、シロウを探すのが日課となった。
シロウを見ると、嬉しくなる。
シロウがいないと、残念になる。
元気かな?と、心配になる。
草の中に白い塊を見つけると、シロウかな?と思う。
やっぱりシロウだと、楽しくなる。
ビニール袋だったりすると、がっかりする。
毎日見ているうちに、グレイ鳩たちは群れで行動しているのに、
シロウは一羽で行動している事がわかってきた。
グレイの群れの近くをウロついてはいるのだけど、
何となく壁がある感じで、仲間ではない様子だ。
色が違うから、仲間外れなのかもしれない。
シロウはその事を、どう思っているのだろうか?
寂しく思っているのだろうか?
それとも、へっちゃらなのだろうか?
どちらにしても、私はシロウの味方だ。
シロウは私の事を知らないし、私は鳩ではないから、
シロウの仲間になる事は出来ないけれど、シロウの味方だ。
何も出来なくても、絶対シロウの味方だ。
ふと思った。
私にも、実は味方がいるのだろうか?
気付いていないけれど、自分とは遠い種類の生き物が、
実は見ていてくれるのだろうか?
私がシロウを見ているように。
何だかそれって、神様みたい?と思った。
例えば私の神様は、小川に住んでいるアメンボで、
その法則でいくと、シロウの神様は私で。
笑ってしまうほど、規模が小さいけれど。
でも実は、もしかしたら、そうなのかもしれない。
神様って、ある生き物を見る、生きる環境も長さも違う、
遠い種類の生き物の視線なのかもしれない。
もしそうだとしたら、
私の神様と、いつか視線を合わせてみたいな、と思った。
そしてその生き物に、少しだけ触れてみたいな、と思った。
