仕上げる 2015.07.05

20150705

20150705

『てがみがほしいみつあみちゃん』は、

一通り試作が終わって、仕上げの作業に入った。

これは自分の性格の問題で、

本番と変わらない状態の試作をしないと気が済まない。

試作というより、予行練習に近いようなもので、

身近な人からは、

「もうこれ(試作)を提出すればいいんじゃない?」と言われるし、

何より本人が、体力的にも精神的にもしんどいのだけど、

どうしても気が済まないのだから、仕方がない。

多分私は、偶然の力というのが、あまり得意ではないのだと思う。

2枚描くと、なくなるものもあるのかもしれないけれど、

なくならないものが残ればいいと思う。

 

試作中に、誕生日を迎えた。

上の画像は、ハルカゼ舎の日めくりカレンダー。

店主の間瀬さんが作っているもので、

365日違う一言(なんていう労力!)が入っている。

誰かの誕生日には、その人に因んだ一言にしてくれたりする。

それが、有名人の誕生日とかじゃなくて(そういう日もあるかもしれないけれど)、

間瀬さんの友達の誕生日というのが、何だかすごく好きだ。

去年は『ちいさなぬま』に、今年は『かきたいな かきたいな』に

因んだ一言にして頂いた。

嬉しいから、毎年とってある。

 

人生の先輩に、こんな言い方は何だか失礼だと思うけれど、

間瀬さんは、人を嬉しい楽しい気持にするのが、本当に上手な人だ。

上手というと、ちょっと語弊があるかもしれない。

営業トークが上手とか、そういう事では全然なくて、

自然に当たり前に、そういう人なんだと思う。

お店をやるって、きっとそういう事なんだろうな、と思う。

間瀬さんだけじゃなくて、魅力的なお店の人たちは、

どこかみんなそうだ。

そういう人を見ると、「天職」という言葉が浮かぶ。

本人がどう思っているかは、また別の問題と思うけど、

少なくとも他人が見てそう思うって事は、

他人を幸せにしてるって事だから、すごい事だと思う。

かっこいいな、と思う。

 

私も、天職って思える日がきたら幸せだな、と思う。

思われたら、さらに幸せだな、と思う。

いつかそんな日は来るのかな?と、

そんな事を考えた誕生日だった。

7月のカレンダー 2015.07.04

20150704

20150704

7月のカレンダーは船。

海の日にちなんで、船。

 

子どもの頃、親戚の家に行くために、

よくフェリーに乗せられた。

私はその頃から、最悪の事態ばかり想像する癖があって、

沈没するかもしれない、と恐くて仕方がなかった。

父親は、子どもは船ではしゃぐものだ、

と思い込んでいる風だったが、イヤで仕方がなかった。

沈没対策として、普段から、

暇さえあれば、人知れず息を止める練習をしていた。

長く止められないので、まずいと思っていた。

船に乗ると、よくわからないくせに、神様仏様…と念じていた。

大嫌いな水泳教室にも我慢して通った。

水の中で、仰向けになってお腹を上に突き出すと、

浮けるという事が分かって嬉しかった。

もし沈没したら、これをやれば助かる、と思って嬉しかった。

そんな差し迫った理由があって、

運動は苦手なくせに、水泳だけは出来るようになった。

アメンボからのメッセージ 2015.06.19

amenbonosei

amenbonosei

小雨の降る中、駅に向かって歩く。

小川沿いの、いつもの散歩道を通る。

梅雨時になって、シロウを見かけなくなった。

少し寂しい。

 

小川にかかる小さな橋を、リュックを背負った外国人男性が、

こちら側に向かって小走りで渡って来る。

傘はさしていない。

高校だったか大学だったか、英語の授業で先生が、

「外国人はあまり傘をささない」と言っていたけれど、

本当なのだなぁ、などと考えていると、

その外国人男性が、私を追い越しながら、

Tシャツを脱いで上半身裸になったから、驚いた。

肩に立派な肩毛が生えていたから、また驚いた。

そんなに体毛の濃い人ではなかったから、さらに驚いた。

 

アメンボは、手のひらに毛が生えていて、

それで水に浮く事が出来ると聞いた事がある。

あんなに立派な肩毛なら、小雨くらい弾きそうだなぁ、

と思ってはっとした。

 

これは、アメンボからのメッセージではないだろうか?

去年の初冬、季節外れのアメンボを見てはしゃぎ、

春になったらまた探すんだ、などと言っておきながら、

すっかり忘れていた。

季節は流れて、もう初夏だ。

痺れを切らしたアメンボが、メッセージを送ってきたのではないだろうか?

 

という事は、あの男性はアメンボの精なのだろうか?

痩せ型に、スラリと長い手脚。

よく考えなくても、アメンボに似ている。

 

男性は、小道を曲がってどこかに消えてしまった。

物陰で、人目を忍んでアメンボの姿に戻る様子を想像してみた。

その後、来た道を戻って小川に帰るのかと思ったら、おかしかった。

アメンボは飛べるらしいから、きっと飛んで帰ったろう。

 

アメンボの小川を横目に見ながら、駅に向かった。

明日晴れたらアメンボを探そう、と思った。

イカと湿布と焼却炉 2015.06.05

shoukyaku

shoukyaku

雨の絵がうまくいかなくて、

ひたすら点々点々と試作をしていたら、右手の親指が痛くなった。

寝たら治るかと思っていたら、治らない。

悪化すると大変だという話を聞くので、大げさな気もしたけれど、

湿布を貼って過ごす事にした。

湿布なんて久しぶりだなぁ、と思っていたら、ある騒動を思い出した。

子供の頃の、バカげた騒動である。

 

最近はどうか分からないけれど、私が子供の頃は、

田舎では一家に一台くらいの高確率で、焼却炉があった。

ドラム缶だとか一斗缶だとかで作った、自作の焼却炉である。

その焼却炉で、燃せるゴミはじゃんじゃん燃していた。

なぜ、わざわざ家で燃していたのだろうか?

ゴミの収集が、有料だったのだろうか?

それとも昔からの習慣だろうか?

子供だったので、その辺の事情は考えもしなかったけれど、

当時は大抵の家で燃していた。

 

我が家にも、一斗缶タイプの焼却炉があった。

冬場のゴミ燃やしは幼心に楽しく、私も率先して手伝ったものだった。

 

その騒動は、私がゴミ燃やしなんて手伝わなくなった頃…

多分、小学生の終わり頃から、中学生になった頃に起きた。

母が、家の焼却炉に、ブヨブヨに腐ったイカを入れられたと言うのだ。

その日は、図々しい人がいるものねぇ、という話で終わった。

 

ところが次の日も、イカを入れられたというのだ。

もしかして、嫌がらせかしら?という話になった。

 

それからも、イカを入れられる日が続いた。

母は、近所の人かしら?何か恨まれるような事をしたのかしら?

と、ノイローゼのようになっていた。

あんた、恨まれるような事したんじゃないの?と、

あらぬ疑いをかけられ、私も滅入った。

家に嫌がらせをするために、

毎日イカを買って腐らせる手間を惜しまない人を思うと、

相当なものを感じた。

 

ところがそれは、とんだバカげた勘違いだったのである。

ブヨブヨに腐ったイカの正体は、母の湿布だったのだ。

「あれ、イカじゃなくて私の湿布だったの」

ある日家に帰ると、誰もいないのに小声で母が言ってきた。

「ちょっと来て」

そう言われて、焼却炉でゴミが燃える様子を見せられた。

 

紙類などが燃えてスス化していく中、

湿布のペタペタした部分が熱で溶けてブヨブヨになって、

クルンと反り返り、火が消えた後それだけ残った。

湿布の残骸は、確かに腐ったイカに似ていた。

 

湿布は燃やせないのね、と母は言った。

当たり前だと思った。

あんなに湿り気のあるものを、なぜ燃やせると思ったのか?

 

家の焼却炉は、いつの間にかなくなってしまった。

いつなくなったのだろうか?

そういえば、親指の痛みも、いつの間にか消えていた。

使用済みの湿布を、久しぶりに燃してみたくなった。

雨で足止め 2015.05.28

20150528

20150528

月刊絵本の試作をしている。

先月末に、ラフのOKをいただいたものだ。

予定通りに進んでいて、なかなか調子が良いぞ!と思っていたら、

雨で足止めをくらった。

 

雨といっても、外で絵を描くわけでもなし、

お天気の雨ではなくて、絵の中の雨の事だ。

自分が想定していた、涙っぽい感じで描いたら、

ワイワイ賑やか、何やら愉し気な雰囲気になってしまって、

びっくりした。

単体でみると、シトシト雨なんだけどなぁ。

絵の世界観との相性なのかな?

色を変えてみたり、太さを変えてみたり、

密度を変えてみたり…

 

散々悩んで、ラフの時にラフに入れていたザーザー雨が、

寂し気な感じで、意外としっくりきた。

考え過ぎないで描いたものが、正解なのかもしれない。

けど、ひとまず候補を絞って、先を進める事にした。

一通り描き終えたら、分かる事があるかもしれない。

 

それにしても、雨に予定の倍以上かけてしまった。

4日間の遅れだ。

ブログを書いている場合ではないんだけど、

点々点々と雨を描き過ぎたせいで、

親指が腱鞘炎?みたいな事になってしまって、痛い痛い。

気持ちは焦るけど、悪化すると後から大変らしいので、

湿布を貼ってちょっと休憩している。

 

写真は、ひたすら雨を描き比べているところ。

シロウと神様 2015.05.27

kamisama

kamisama

いつもの散歩道に、白い鳩を一羽見つけた。

ちょこちょこと歩きながら、道沿いの草の芽か何かを啄ばんでいる。

よく見ると、真っ白ではなくて、

胸のところに一箇所だけ、茶色が入っている。

書初め用の太い筆で、「、」をひとつ書いたくらいの大きさの茶色だ。

白い鳩はあまり見かけないので、珍しくて目についた。

 

大学時代は、裏に靖国神社があったので、白い鳩は毎日のように見ていた。

当時は、どうして白い鳩ばかりいるのか不思議だったけれど、

神社で飼っているものらしい。

後で知った事だ。

 

白い鳩を、同じ場所で次の日も見かけた。

胸のところに、茶色がある。

同じ鳩だ。

気付かなかっただけで、この辺に前からいたのかもしれない。

やはり、草の芽か何かを啄ばんでいる。

勝手に「シロウ」と名付けた。

 

その日から、シロウを探すのが日課となった。

シロウを見ると、嬉しくなる。

シロウがいないと、残念になる。

元気かな?と、心配になる。

草の中に白い塊を見つけると、シロウかな?と思う。

やっぱりシロウだと、楽しくなる。

ビニール袋だったりすると、がっかりする。

 

毎日見ているうちに、グレイ鳩たちは群れで行動しているのに、

シロウは一羽で行動している事がわかってきた。

グレイの群れの近くをウロついてはいるのだけど、

何となく壁がある感じで、仲間ではない様子だ。

色が違うから、仲間外れなのかもしれない。

 

シロウはその事を、どう思っているのだろうか?

寂しく思っているのだろうか?

それとも、へっちゃらなのだろうか?

 

どちらにしても、私はシロウの味方だ。

シロウは私の事を知らないし、私は鳩ではないから、

シロウの仲間になる事は出来ないけれど、シロウの味方だ。

何も出来なくても、絶対シロウの味方だ。

 

ふと思った。

私にも、実は味方がいるのだろうか?

気付いていないけれど、自分とは遠い種類の生き物が、

実は見ていてくれるのだろうか?

私がシロウを見ているように。

 

何だかそれって、神様みたい?と思った。

例えば私の神様は、小川に住んでいるアメンボで、

その法則でいくと、シロウの神様は私で。

笑ってしまうほど、規模が小さいけれど。

 

でも実は、もしかしたら、そうなのかもしれない。

神様って、ある生き物を見る、生きる環境も長さも違う、

遠い種類の生き物の視線なのかもしれない。

 

もしそうだとしたら、

私の神様と、いつか視線を合わせてみたいな、と思った。

そしてその生き物に、少しだけ触れてみたいな、と思った。

たまたま または はたまた または 2015.05.10

tamatama

tamatama

パンツみたいなヘアーバンドをしている人とすれ違う。

色は、ショッキングピンクだ。

 

あれは、パンツだったのだろうか?

パンツをヘアーバンド替わりに着ける(または、被る)事が、

私の知らない世界で流行っているのだろうか?

逆にお洒落、みたいな事なのだろうか?

 

または、パンツの形に似せたヘアーバンドが、

私の知らないお店で売られているのだろうか?

逆にお洒落、みたいな事なのだろうか?

 

それとも、素敵なヘアーバンドを真面目に追求して作った結果、

たまたま、図らずもパンツの形に似てしまったのだろうか?

 

または、売っている状態ではパンツっぽくなかったのに、

着けると、もしくは着け方によって、

たまたまパンツの形に似てしまったのだろうか?

その場合、着けている人はその事に気付いているのだろうか?

気付いてはいるけれど、せっかく買ったのだからと、

ヤケになって着けているのだろうか?

それとも、気付いていないのだろうか?

 

はたまた、本当はパンツなのだけれど、

ヘアーバンドと思い込んでしまったのだろうか?

例えば下着屋さんで、パンツとヘアーバンドが並んで売られていて、

陳列の境目がちょっと分かりずらく、

勘違いしても仕方のないような状況だったのだろうか?

それとも単に、普段からそそっかしい人なのだろうか?

 

はたまた、何かの罰ゲームだろうか?

負けた人はパンツを被って街を一周する、

という罰ゲームなのだろうか?

 

はたまた、イタズラ好きな友人に騙されたのだろうか?

これ、今流行ってるんだよ、とプレゼントされて、

素直に信じてしまったのだろうか?

 

はたまた、はたまた、はたまた、はたまた…。

5月のカレンダー 2015.05.01

20150501

20150501

5月は男の子。

端午の節句にちなんで、男の子。

 

幼稚園の頃、

園で食べた、餡の入っていない“ちまき”が

美味しくて美味しくて、家に帰ってから、

母にねだって探してもらった事があった。

結局見つからなかったんだけど、

あれは何だったんだろう?

子どもの頃は、餡が好きじゃない子が多いから、

幼稚園用に作られたものだったのだろうか?

当時は私も餡があまり好きじゃなくて、

それでそのちまきを気に入ったのだ。

今は勿論、餡も好きだけど、

あのちまき、やっぱりもう1度食べたいな。

初めての 2015.04.29

20150429

20150429

月刊絵本のラフのOKを頂く。

私にとって、初めての月刊絵本。12月号だ。

7月中にアップの予定。

区切りがよいので、5月1日から着色に入ろうと思う。

今は、ドキドキしながら、全体の色の感じを考えたりしている。

 

今回の物語は、「わたしドーナツこ」よりもっと前に、

初めて考えた絵本の物語だ。

夜間の専門学校に通っていた頃、

本の表紙を描いてみましょう、という課題があって、

好きな本の表紙でもいいし、架空の本の表紙でもいい、

という事だったので、私は架空の本の表紙を描いた。

タイトルは、「手紙がほしい女の子のお話」。

それが、今回の絵本の始まりだった。

その時はぼんやりとしていて、表紙以外は形にならなかったし、

そもそも自分が絵本を作るようになるなんて、

思ってもいなかったけれど、

いいところに流れて、こんな機会を与えてもらえて、

幸運な物語だな、と思う。

主人公が、ものすごく意志の強い女の子だから、

物語も意志が強いのかもしれない。

タイトルは、少し変わって、

「てがみがほしい みつあみちゃん」とした。

 

今回の編集者さんは、

「わたしドーナツこ」の出版を決めて下さった編集長さんに、

私を紹介して下さった方だ。

だから、大変な恩人という事になる。

その人に、自分が初めて考えた物語を担当して頂くというのは、

なんというか、意味があるような気がしてしまう。

何度もお会いした事はあるし、数人で食事をした事もあって、

楽しい人だという事は知っていたのだけど、先日2人で食事をしたら、

思っていた以上に愉快な人だという事がわかって嬉しい。

これから、本当に楽しみだ。

 

幸せのこと。切なさのこと。一瞬のこと。永遠のこと。

それから、光の粒のこと。

20代前半だった私が、思っても形にできなかったもの。

今の自分が、頑張って形にしたいと思う。

いいものにしたいな。