とても嬉しい事があった時、私には、
光の粒(のようなもの)が見える事がある。
〝世界がキラキラ輝いて見える〟
なんていう表現があるけれど、それを現実にしたような、
木漏れ日のようなものが、自分の視界に溢れかえっているような、
そんな時がある。
長い間、それは自分の気のせいだと思っていた。
〝世界がキラキラ輝いて見える〟というよくある表現に、
自分の感覚が引っ張られているのだと思っていた。
ところがある時、その話をしたら、
理系の知人が、こんな事を教えてくれた。
嬉しい事があると、脳の中で、あるホルモンが出て、
その影響で瞳孔が大きくなり、光を多く感じるというのだ。
「僕も、嬉しい事があると、キラキラして見えますよ。」
知人はそう言った。
こういう時、夢のない話と思うか、
むしろ夢のある話と思うかは、
両極端に分かれるのではないかと思う。
私の場合は後者だ。
自分の気のせいだと思っていた事が、現実に起こりうる事で、
おそらく多くの人も経験している事だという事が分かったのだ。
なんて夢のある話だろう!と思った。
残念ながら、そのホルモンの名前は忘れてしまった。
教えてくれた理系の知人は、もうこの世にいない。
だから、もう1度聞く事は出来ないのだ。
検索をかければ、すぐに分かる事だろうと思う。
でも、しないでおこうと思う。
いつか、偶然手にした本の1文に、
それを見つけるかもしれないし、
別の誰かが教えてくれるかもしれない。
それを、楽しみに待とうと思う。
理系の知人に、光を見せた嬉しい出来事は、
どんな出来事だったのだろう?
その時の情景は、まるで例の光が焼き付けた写真のように、
記憶の中に、ずっと大切に残されていただろう。
そういう幸せな記憶は、
たとえその人が消えてしまった後も、この世に留まって、
宙に漂ったりしているのではないだろうか?
そして時々、誰かの夢の中に忍び込んでは、
幸せな夢となって現れるような、
そんな事もあるのではないだろうか?
そんな気がする。
ただの、気のせいの話だ。
でもその気のせいを、あの時のように、
いつか誰かが証明してくれるかもしれない。
そんな嬉しい事があったら、
私はまた、光の粒を見るだろうと思う。









